かぼちゃの馬車事件 スルガ銀行シェアハウス詐欺の舞台裏

第1章 触手 

 

この物語は金融事件史上、最大の逆転劇と言って良いだろう。 

 

血と汗と涙の闘争記録をぜひ読んでほしい。 

 

最初のきっかけは、知人から不動産会社の社長の紹介を受けたことだった。 

 

その社長から提案を受けた投資案件が「かぼちゃの馬車」だった。 

 

特徴は次の通り。 

 

・頭金ゼロ円でフルローン可能 

 

・家賃0円、空室ありでも儲かる 

 

・30年間家賃保証のサブリース 

 

怪しさを感じつつも魅力を感じ、投資を決意した。 

 

融資する金融機関は地銀の優等生、スルガ銀行だった。 

 

しかし多目的ローンがセットになるなど、契約内容に違和感を覚える点もいくつかあった。 

 

が、言われるまま契約してしまったのである。 

 

そして2017年10月、私の下へ手紙が届く。 

 

サブリース賃料の一方的値下げをスマートデイズ(以下SD)社が通知してきたのだ。 

 

 

 

第2章 悪夢 

 

私は急ぎSDの役員とあった。 

 

入居率も噓、家賃収入0でも安心も噓。 

 

物件を建てては売っての自転車操業を繰り返していたことが、わかったのである。 

 

SDは心許ない再建計画を説明してきたが、もって半年程度に思えた。 

 

現状を打開しようと情報収集したところ、「SD被害救済支援室」との名前が目に止まる。 

 

支援室の千葉という男に会ったが、きな臭く信用できなかった。 

 

次に会ったのが、妻から紹介を受けた不動産会社の社長である。 

 

その社長から「SDだけでなくスルガ銀行にも大いに責任がある」との指摘を受けた。 

 

また同時に「銀行に挑まない方が良い、金利交渉に集中すべきだ」とも言われた。 

 

そこでスルガ銀行担当者に会って金利交渉を行ったが、のらりくらりかわされるだけだった。 

 

私は一時期、死も覚悟した。 

 

 

 

第3章 覚悟 

 

2018年1月、私は妻へ離婚を切り出した。 

 

気丈な妻の姿に胸を打たれたが、そのことでともに闘う仲間の必要性を痛感したのだった。 

 

そんな矢先、SDとSD被害救済支援室から同時に手紙が届く。 

 

オーナー説明会への案内で二日に分けて実施するという。 

 

私は一人でも多くのオーナーと仲間になるため、両日共参加することを決意した。 

 

同時に、SDとスルガ銀行だけでなく、SD被害救済支援室もグルだと思い始めていた。 

 

オーナー説明会に参加するのは良いが、問題はどうやって仲間を集めるかだ。 

 

そこで私はLINEでつながることを思いつき、QRコードを印刷して説明会で配りまくった。 

 

その結果、100人以上のオーナーとつながることができたのだ。 

 

そこでは連日話合いや情報交換が行われ、弁護士が必要との意見で一致した。 

 

ところが多くの弁護士は自己破産をすすめるだけ。 

 

名前があがったNPO法人も、残念ながらあてにできそうになかった。 

 

 

 

第4章 混沌 

 

2018年2月、運命の弁護士と出会う。 

 

多くの経済事件を解決してきた河合弁護士だ。 

 

その後一月足らずで、河合弁護士を中心にスルガ銀行・スマートデイズ被害弁護団も結成された。 

 

ようやく闘う準備が整ってきたと言える。 

 

河合弁護士のアドバイスにより、共同でのローン支払停止をグループへ呼びかけた。 

 

ところがブラックリストに載ることを心配するメンバーもおり、賛否は分かれた。 

 

が、河合弁護士の「ローンを止めないと失血死してしまう」との言葉に説得され、グループによるローン支払い停止は実行された。 

 

また、その頃にはさまざまな情報がグループを通じて寄せられるようになっていた。 

 

スルガ銀行の元行員からも話を聞くことができた。 

 

その結果、スルガ銀行は反社と繋がっていることや、絶対君主となっている岡野一族の存在なども明らかになってきた。 

 

 

 

 第5章 折衝 

 

2018年3月、弁護団による第1回交渉がスルガ銀行本店で行われた。 

 

その交渉には報道陣も見守る中、30人もの被害者グループが参加したことで驚きの声が上がった。 

 

しかしスルガ銀行に会長や頭取の姿はなく、誠実な対応とは言えなかった。 

 

そこで河合弁護士からデモ決行の提案がなされた。 

 

この提案も、結束を誇ってきた同盟も大きく意見が割れてしまった。 

 

さらに 

 

「河合弁護士が進めようとしている代位弁済では、課税額が莫大になる。 

 

自己破産するのが得策だ。」 

 

と主張するグループも現れ、同盟は分裂の危機を迎えたのである。 

 

私は代表の座を退くという捨て身の戦術にでた。 

 

実際に退くつもりはなかったが、戦術は奏功し脱退者を小数に食い止めることができた。 

 

また、河合弁護士の元で頑張るという方針も再確認でき、デモ活動も軌道に乗ってきた。 

 

ところがまたしても驚愕のニュースが飛び込んでくる。 

 

SDが民事再生法の申立を行ったのである。 

 

弁護団が資金の流れを解明するため、SDの破産申立手続きを進めていた矢先のことだった。 

 

 

 

第6章 決戦 

 

2018年4月、SDの民事再生法申請に伴う説明会が行われた。 

 

説明会に参加した被害者グループの狙いは、質問時間を必ず確保させること。 

 

その時間を通じ、民事再生法申請の不当性を裁判所から派遣された弁護士へ印象付けることだった。 

 

私たちは声を枯らして必死にSD側の不当性を訴えた。 

 

SD側の説明は勢いを失い、この様子はメディアでも取り上げられた。 

 

また、裁判所から派遣された弁護士が破産管財人となることも確定した。 

 

勝利を勝ち取ったのである。 

 

しかし、スルガ銀行と弁護団の交渉は難航していた。 

 

スルガ銀行側は「個別交渉には応じるが、代物弁済には応じられない」の一点張りだったのである。 

 

ところが5月にSD破産の正式決定が影響したのか、スルガ銀行に第三者委員会が設置されたのだ。 

 

私たちはさらに攻勢を強めるべく、株主総会への参加を計画。 

 

30名が株主としてスルガ銀行の株主総会へと参加した。 

 

しかし多勢に無勢。 

 

反対動議は機能せず、株主総会参加は失敗に思えた。 

 

ところがメディアの報道により、世間の注目を集めることには成功したのである。 

 

 

 

第7章 潮目 

 

2018年7月、潮目を大きく変える記事が毎日新聞の一面に掲載された。 

 

スルガ銀行役員の不正、即ち銀行ぐるみの組織的詐欺が行われていたことが全国紙で報じられたのだ。 

 

また同年9月、同盟が待ち侘びていた第三者委員会の調査結果が公表された。 

 

その結果、ここでも執行役員の関与や激烈なノルマを達成するために不正が横行していたことが暴かれたのだ。 

 

スルガ銀行への追撃は続き、金融庁による一部業務停止命令も下された。 

 

国会の場でも「かぼちゃの馬車事件」は取り上げられた。 

 

地道な努力や働きかけが実を結んできたのだ。 

 

こうした一連の騒動により、スルガ銀行の株価も大きく下落。 

 

私たちのグループも株式購入者が100名へと膨らんだ。 

 

前回は多勢に無勢だったが、2019年6月に行われた株主総会には100名で乗り込み、スルガ銀行を圧倒。 

 

スルガ銀行の命運は尽きたと言って良い。 

 

 

 

 第8章 終結 

 

総会から一月後、河合弁護士から連絡が入った。 

 

スルガ銀行が代物弁済に応じるからデモを止めてほしいと、泣き付いてきたという。 

 

スルガ銀行はデモ活動が長期化すれば、再建も不可能と判断したらしい。 

 

しかし代物弁済だと負債が解消しても、莫大な課税額が生じる問題が残っていた。 

 

その問題に弁護団は粘り強く国税庁と交渉してくれた。 

 

その結果、国税庁は特例で課税しない方針を打ち出してくれた。 

 

つまり私たち被害者は全ての債務をゼロとし、不動産を購入する前へと時計のネジを戻すことができたのだ。 

 

なぜ勝てたのか。 

 

それは「雨天の友」がいたからである。 

 

一人で戦っていれば河合弁護士とも出会えず、情報も集まらなかっただろう。 

 

私は雨天の友の中核メンバーとともに、社団法人を立ち上げた。 

 

この事件だけでなく、他の消費者事件で苦しむ人々を一人にしないという思いが法人設立の背景である。